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ミナモト先生の新刊が届きました♪

2018 年 5 月 13 日 Comments off

ミナモトカズキ先生の新刊
「メルヘン課長とノンケ後輩くん2」が
届きました!

こちらの新刊、発売日の前に
アマ○ンで注文していたのです。

発売日前でしたし、
発売日当日お届けのハズ♪
すっごい楽しみ~♪

とか思っていたのに!

とか思っていたのに!

とか思っていたのに!

気がついたら、
5月11日発売で、お届けは13日
って書いてあったわけです。

マジすか(汗)。

で、本日到着。

 

 

大袈裟なことを書いてしまうかもですが
この漫画、ホントにスゴイ漫画だと
思うのです。

「ノンケ」とか「オネエ」を
類型的に描くのではなく、
それをむっちゃ乗り越えようと
表現方法をすっごい探してる作品です。

類型的に描く、というのは
ある意味、表現者としては楽なのですよ。
書き手も読み手も「お約束」が
分かっているので、
「そうだよね!」とか
「ああ、そうそう!」と
言いやすいと言うか。

でも、人間の本質というのは
さすがに類型表現だけでは
描けないのがリアリティなわけで。

この作品はとっても楽しくて
とっても可愛くて
とっても心がほっとしたり
とってもほろりとさせられたり。

でも、「人間をもっと深く描くために」
すんげえイロイロを
計りきれないぐらい模索し続けている
作品なのだと思います。

大袈裟かなー。

 

 

でも、やっぱり
その大変さ、というか
表現者としての壮絶さを考えて
市川はすごいなー!と
思ってしまうのでした。

 

でもきっと
ミナモト先生は
こうやって水面下でむっちゃ足を
動かしながら
「そんなことないですよー」と
キラキラの笑顔でニコニコ笑って
くれたりするのかな、多分。

 

やっぱりスゴイと思います。

 

とにかく市川、強力にオススメの一冊です♪

(あ、シリーズなので「1」もあるのよ!)

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BBCドラマ「ダウントンアビー」とゲイセクシュアリティ

2018 年 3 月 21 日 Comments off

■とりあえず一気にまとめて観ました

今年の2月に、NHKでも放送されていたBBCのドラマ、
「ダウントンアビー」を全部一気に見ました。

確かシーズン3ぐらいまで観ていたのだけど、その後
バタバタしてしまって、放置していたわけです。

かなり世界中で話題になってヒットした番組。

 

 

■「ダウントンアビー」(いまさらだけど)

ざっくり言うと、1910年代から1920年代ぐらいまでの間、
イギリスの貴族、クローリー一家とその執事たち等の物語。

舞台はグランサム伯爵家の屋敷、ダウントンアビー。

 

 

一時間弱の時間枠の中に、3話分ぐらいの内容が
詰め込まれてます。

普通だったら3話ぐらい時間がかかりそうな物語が、
パッパカパッパカ進む。

多分このスピード感が現代的なのでしょうか。

ちょっとでも目を離すとすぐに話が
分からなくなってしまう(汗)。

 

でも、ドラマを通して、貴族というのはある意味
「企業」だったのだなということが理解できました。

「資産」を「運用」することで、自分たちだけでなく、
使用人達の雇用を確保したり、土地に住んでいる者達の
経済を動かし続けたりしなければならない。

前世紀的な「お貴族様意識」のままでは、
経費がかさむ一方で、生活が立ちゆかなくなる。

生き残ることが出来る貴族なのか、没落するだけの
貴族なのか、分かれ道は本当にシビア。

そういう意味でも、シーズン1の頃の台所にいた
使用人達の数が、ラストシーズンには激減しているのは、
何とも言えないものでした。

 

ドラマを通してずっと見てしまったのは
イザベル・クローリー、の、ペネロペ・ウィルトン。

え?

だって自分にとっては、同じくイギリスのSFドラマ
「ドクターWHO」の首相・ハリエット・ジョンソン
なんだもん(笑)。

「ジョンソン首相が出てる~~~~~!
ドクターは登場しないの?????」
と思いながら観てしまったw

 

■『ダウントンアビー』とゲイセクシュアリティ

ゲイとしては『ダウントンアビー』で
気になってしまったことはイロイロ……あります。

最近の海外ドラマの通常として、勿論、
ゲイのキャラクターが登場します。

トーマス・バローです。

イロイロ悪いことを画策したり、一筋縄ではいかない青年。

悪いことを画策するのは自己保身のためでもあり、
やはり自分がゲイであることをどう受け入れて良いのか
悩んでもいるキャラクター。

 

しかし。

 

ドラマの中でトーマスは自分自身が
ゲイであることを隠している、
つもりではあるものの、クローリー一家も含めて
ほぼ全員が知ってて、

「ああ、まあそういう生き方もあるよね」

とか、

「トーマスはそんなことを気にしてるんだ?
みんな知ってることなのに」

的なことになってる。

あまつさえロバート・クローリー伯爵に至っては、
「俺だってイートン校では結構モテたんだぞ」
とか言ってる(笑)。

 

でもねえ。

 

現代で放映されているドラマなので、
当然「社会的配慮」があるために、
こういうことになるのでしょうが、
当時のイギリスにおける同性愛事情は
そんな生やさしいものではなかったのでは
ないかな?と思うのです。

当時のイギリスは同性愛者であることは
犯罪なので、スキャンダルでした。

勿論、言わなければOKとか、
バレなければOKという
不文律はあったかもしれない。

そんな中でトーマス・バローの
セクシュアリティがあんな風に「優しく」
受け入れられていた、なんてことは
あるのかなあ?、と思ってしまう。

 

『ダウントンアビー』の時代に実在した
イギリスの作家、クリストファー・イシャウッドは、
イギリスを離れベルリンに身を寄せていました。

彼自身、ゲイであるという
セクシュアリティに悩んでいて、
イギリスには居づらかったから
ということもありました。

(当時のベルリンは同性愛者たちが
自由な人生を謳歌している場所でした)。

 

偶然、クローリー家は同性愛とかを気にしない人達で、
トーマスの周囲の人達も同じような人達が
多かった、と言うことなのかなあ。

とは言え、当時のイギリスにおける
同性愛者たちの状況についての知識がないので
何とも言えないのだけれど。

(ざっくりとイギリスでは18世紀では死罪で、
19世紀にはとりあえず死罪では
なくなったものの犯罪ではあり、
20世紀初頭はゲイバーなどが
ロンドンにオープンしたり
社会的に同性愛者が認知されたものの、
実際に犯罪ではなくなるのは1960年代に
入ってから、ということかな????)。

 

 

トーマスのことについて考えたとき、
知人のとある日本人女性のことが
頭に浮かびました。

彼女は日本人には珍しいくらい
かなり相当アグレッシブに
同性愛者が嫌いです。

彼女は海外で育ったのですが、
その国では同性愛は犯罪でした。

その国では同性愛者たちは逮捕されて、
新聞に顔写真つきで
掲載されることもありました
(今はどうなんだろう?)。

 

「同性愛者なんて所詮犯罪者なのに、
社会の中で大きい顔をしようと
してるだなんて許せない」

「同性愛者が普通の人と
同等の権利を求めるとか、
犯罪者風情が何だか偉そうよね」

 

と、彼女は日頃結構こういうことを
ヘイキで口にします
(ちなみに彼女は僕が嫌いです。
多分僕がゲイである以前に
ソリが全然あわないからだけど)。

 

彼女の旦那さんはリベラルな国の出身なので、

 

「人間は多様なんだから、
そんなこと言ってはいけないよ」

 

とことあるごとにいさめているのですが。

今は彼女は育った国を離れて、同性愛が
犯罪ではない国に生活しています。

それでもやはり彼女はこの感覚が
なかなか抜けないようです。

 

「法律で犯罪と定められていたのだから、
犯罪者以外の何者でもないじゃない?
犯罪者は逮捕しなければいけないし、
罰されて当然なのよ?
だって普通の市民としては、これは
普通の物の考え方じゃないの?
そもそも気持ち悪いし」

というのが彼女の中の理論の様子。

「ザ・良識ある市民」という感じ。

(;´Д`)ナンダカナー

 

で。
当時のイギリスでは同性愛は犯罪だったわけで。

前述の女性のような人を知っていると、
トーマス・バローの周囲の人達が、
彼のセクシュアリティに対して
あれだけ寛容だったのは、
かなり相当優しい偶然だったのでは
ないのかなあ????
ホントのところはどうだったの???
と、思ってしまうのでした。

 

ちなみに。

トーマス・バロー役の
ロバート・ジェームス・コリアーは
ゲイではない様子。

無論、だから何なの?という感じですが。

でも、俳優さんがひとつの役どころとして
普通にゲイを演じる、というのは、
本当に時代が変わったんだなと
しみじみ思うわけです。

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