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[映画]1919年のゲイ映画「ディファレント・フロム・ジ・アザーズ」2

2015 年 2 月 11 日

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映画「Different from the Others (ディファレント・フロム・ジ・アザーズ)」
1919年ドイツ 49分
監督:リカルト・オズヴァルド
脚本:マグヌス・ヒルシュフェルト/リカルト・オズヴァルド

 

で、話は戻って。

そんなヒルシュフェルト博士のもと、この映画は制作されます。
ヒルシュフェルト本人も、本人役で登場しとります。
この映画、以前、単なる資料用教育映画だと思ってたんですよねー。
ほら、教室とかで見るヤツ。
確かに内容はとても教育的なので。
ところが、この映画、きちんと一般公開されたそうです。
1919年の夏に。
批評家の評価も高かった。

しかし映画館はブーイングの嵐。
理由は「同性愛者が描かれている」ということではなくて、どちらかと言うとこの映画が「同性愛者差別の原因は社会にある」と言っているってのがあったそうです。「同性愛者が差別されるのは、社会のほうに問題があるですってっ!?馬鹿じゃないのっ!?てか、馬鹿なのっ!?ヾ(≧血≦)ノ」ってことです。
ブーイングや途中で映画館を出てしまう、というのはまだ良いほうで、暴動になってしまったところもあるようで。
で、翌年、上映してはならない映画にされてしまいました。
こちらは、「社会の安全を阻害し、感受性豊かな若者を同性愛者にしてしまう可能性がある」ということで。

ま、平たく言えば、「青少年の健全育成にそぐわない」ってことです。
脱線するけど、ほーらね。
青少年だの健全育成だのって言葉が出てくると、錦の御旗で何でも出来ちゃう。
アヤシイ単語ですよ、このふたつは。
これらが出てきたら、ロクなことにならんと思ったほーがいい。歴史上。

 

再度脱線しますが、大戦間時代、ヴァイマル共和国時代は、ちょっと色々難しい。
「時代は科学よ!19世紀の古い慣習を捨てて、新しい価値観に生きる時代になったのよ!」と、言う流れが社会にあるものの、物の考え方はやっぱりまだまだまだまだ「おぼこい」頃でありました。

当 時「暴力的過ぎる映画だ!」「こんな暴力的な映画を上映するのは社会に良くない!」「ぎゃあああああっ」と言われた映画があるんですが(タイトル忘れちゃった、てへ♪)。
内容 は、と言うと、

ある男が財布を拾います。その拾った財布を警察には届けずに自分でネコババしちゃう。で、売春してるお姉さんに掴まって、そのお姉さんとお 姉さんのヒモの男が、男のネコババした財布を更に自分のものにしようとする、というもの。

え…………これのどこが暴力的なの?(笑)

いまだによく分からないのですけどね。とりあえず当時はそんな映画が「残酷映画だ!こんな暴力的な映画なんてあり得ない!」と糾弾されたわけです。

ましてや、ねえ?
この映画のように、「同性愛者」だの「同性愛者が生きること」だのが描かれた映画ともなれば……。
相当とんでもなくセンセーショナルだったのかなあ、と思います。

 

勿論この映画はのちにナチスによって「絶対存在しちゃいけない映画」にされます。
青少年の健全育成を阻害し、社会の正しいあり方を乱すもの、ということで。
このフィルムを発見し次第、徹底的に破壊するようにとの指示が下ります。
なので、現在フィルムのあちこちはなくなってしまっています。
近年、各所に残った残骸をつなぎあわせて、いくらかの復旧がされたフィルムですが、それでも上映時間49分のうちの大半はずーっと文章で説明が続いたりします。
その辺はあしからず。

 

さてさて、最後に映画のあらすじですが、その前に。

この映画、とっても「お教育映画」っぽいです。
ストーリーもむっちゃお説教節だし。
しかも、後半の大半は髭熊ヒルシュフェルトたんのお説を拝聴する内容だし。

 

ですが。

 

1で書いたように、髭熊ヒルシュフェルトたんが一体何をやっていた人なのか、何を達成したかったのか、何に立ち向かわなければならなかったのか、そのためにどうしてこの映画を作ったのか、も併せて考えて頂ければです。

それと。

当時の映画、というのは、今の映画ととらえかたがちょっと違うのです。
当時はテレビもない、ラジオやレコードだって普及がはじまった時代。
そんな中、映画というのは最新の娯楽でした。
映画館は、ニュース映画を観て最新ニュースを知ることが出来、娯楽映画を観て楽しく時間を過ごせ、さらにはマジシャンが登場して実際に手品を見せてくれたり、音楽のライブ演奏があったり、歌手が歌ったり、ダンサーたちが踊りを踊ってみせたりしてくれる、という総合エンターテイメントセンター。今なら、携帯電話もネットもテレビも家で聴く音楽も全部とっぱらって、アイマックスシアターで、3D上映で、ライブコンサートがあって、サーカスがあって、宝塚がレビューしちゃう、そんな感じ。

そうした中、意見広告ではないけど、こういう教育的なことを伝える意味を持つ映画も作られたわけです。○○先生による講演会・テーマ「20世紀の技術と可能性」、なーんて、今だったら、ちょっと退屈しちゃう、てか、誰が聴きに行くのよ????というものが、一種のわくわくするエンターテイメントでもありました。だってやることないんだもん!仕事から帰ってきて、ご飯食べて、寝るだけ?????せいぜい飲みに行ったり、本を読むくらい????それだけじゃやっぱり人間退屈します。で、講演会とか行って、最新流行の情報を手に入れたり、ヤジ飛ばしてスカっとしてみたり、翌日友達と「ね、ね、あれ聞いた~?マジ酷いよね~!超ウケるんだけど~」とかネタにする。ちなみに当時、ナチスも各地で講演会をやるのですが、実のところエンターテイメントのひとつとして人々が参加していた部分もなきにしもあらずいまそかり。

 

あ、蛇足。
写真、これ当時のゲイのクラブイベントの姿のひとつです。
何でみんな変なカッコしてるのよ?
当時のオカマはみんな変なカッコしてたの???
いやだ、受ーけーるー!
超笑えるんですけどー!
いやいやいやいや、えーと、当時はまっっっったく娯楽がなかったので、一般的にも何かというと「仮装パーティー」を開いていたのでした。
仮装パーティー大流行。
ビバ仮装!
パーティーと言うと仮装。娯楽と言えば仮装。
自分の正体も隠せるし、色々都合も良かったこともあったのでした。

あとねー、メークもねー。
何かゴスロリと言うか、目の周り真っ黒になっちゃうんですよねえ。
きもっ!
って思うかもですが。
当時の映画用メークと言うか、おしゃれさんメークと言うか。
主人公の俳優コンラート・ファイトは後に映画「カサブランカ」に出演します。
英語版のWikiを見るとホントに普通のおっちゃんの顔してます。
当時はねー、仕方無いのよー。特に1910年代はー。
1920年代に入ると映画メークももうちょっとナチュラルになります。

 

とりあえずそんなこんなの映画です。

 

Σ( ̄Д ̄;)何だか長くなっちゃった。
「ストーリー」については次回!

 

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